2018年10月号 第43話 ヨットと学祭と後進支援
今年(2018)8月にデンマークのオーフス(Aarhus)で行われたセーリング競技世界選手権において、日本人女子ペア吉田・吉岡組が金メダルを獲得し世界一の称号を得ました。続くインドネシアのアジア大会で男子470級、上述の女子470級、男子49er級、女子レーザーラジアル級の合計4種目で金メダルを獲得しました。しかしながら今回のアジア大会での日本勢メダルラッシュに埋もれてしまったり、セーリング競技自体がマイナーであるため、世間ではほとんど騒がれなかったのが残念なところではあります。特に世界選手権での成績は日本セーリング界において快挙とも言うべき一大ニュースでした。
かくいう私も学生時代のほとんどを琵琶湖上でのヨット活動に捧げ、医学との両立に邁進しておりました。卒業後も仕事の合間を縫っては週末に琵琶湖に出向き、後輩を乗せ練習やレースを通じて指導。自身の持つ知識と技術を余すことなく叩き込んでいたものです。医師となり20年近く経った今でも、西日本医学生総合体育大会ヨット部門に応援のため、途切れることなく毎年顔を出しています。所詮は医学部内だけの内輪な大会ではありますが、毎年のように医学生たちが鎬を削って熱い戦いを繰り広げてくれます。今年は浜名湖で開催され、浜松うなぎ恋しさもあって、いつものように意気揚々と出向きました。現場での喧騒はかつて若かった頃の緊張感を思い出し鼓動が高鳴るのを抑えきれません(あ、別に循環器的な基礎疾患があるわけではありません)。
とはいえ20年近く前に現役であったロートルセーラーが技術的に教えられることなど最早なく、傍から眺めながら学生たちの奮闘を見守ります。血気盛んだった現役時代とは違い、今唯一出来ることと言えば「お金を落とす」くらいでしょうか。とかく学生時代はお金がありません。その中でやりくりするのも学生時代の醍醐味とも言えますが、やはり限界があります。学生たちから聞くところによると、昔と違って大学のカリキュラムも密度が濃くなり、アルバイトの時間を確保するのも一苦労だとか・・・。少しでも負担を減らしてやろうと常識的な範囲内での金銭的援助を続けている訳です。
金銭的援助と言えば、滋賀医科大学の学園祭であるところの「若鮎祭」。草津栗東医師会から毎年寄付金を提供していますが、当医院としても別個で毎年寄付金(広告費)を提供しています。お祭り好きの私はお金を提供するだけではなく、実際に会場に行ってお祭りを満喫していますが、後夜祭での打ち上げで学生と語り合うのがこれまた楽しい。意外と学生たちは「昔話」に対して興味を示してくれるものです。
ここで気を付けないといけないのが
「昔はこうだった」はOK。
ところが・・・
「昔はこうだったのに、今のオマエラは・・・」
「最近の若い者は・・・」
的な説教話に持っていくと一気に聞き手は居なくなってしまいます。
反対に今の学生生活がどうなのか。部活動を取り巻く環境。カリキュラムや講義はどうなのか。進級や留年、国家試験の合格率。その他諸々の情報(主に愚痴)を聞いてやるのも大人の仕事ではないかと思っています。またそういう情報交換の場所を設けることが信頼関係の構築に繋がります。
こういった支援や交流を長年続けていると、後輩の中からとんでもない傑物も現れてきます。ある後輩はドラマ「コードブルー」よろしくドクターヘリ搭乗の脳外科医になったと風のうわさ。ある後輩はタイに慈善事業に行ったっきり音信が途絶えたと思ったらこの間帰国したとかしないとか。ある後輩は臨床もバリバリやりながらセーリング界で頭角を現し。ある後輩は総合病院の麻酔科部長を務め。ある後輩は当院開院時に応召してくれて今も勤務するナース。ある後輩はパートで医療をしながら家庭に入り子供を育てる。その他諸々。
「部活動で乗り越えた苦難の経験は、社会に出てからも生かせる」旨を教えてきたことを生かしてくれているのかどうかは分かりませんが、こうして目をかけた後輩たちの「多様な活躍」を聞きつけるたび悦に入っています。
古典の諸子百家の一人「管子」にこのような話があります。
一年之計莫如樹穀、十年之計莫如樹木、終身之計莫如樹人
一年の計は稲など穀物を植えることに及ぶものは無く
十年の計は樹木を植えることに及ぶものは無く
百年の計は人を育てることに及ぶものは無い
「国家百年の計」として知られていますが元々は「終身之計」であり、人を育てるという重要性を唱え国家運営の指針として用いられるようになったものです。そのあと管子はこう続きます。
一樹一穫者穀也、一樹十穀者木也、一樹百穫者人也
一の穀物からは一が得られ
一の樹木からは十が得られ
一人の人間からは百が得られる
作物を育てることと、人間を育てることを同じ次元で見立てて、特に人間を育てて得られるものが桁違いに大きいという教訓を示してくれています。
とはいえ私個人がその「百」の見返りを得ようというものでは無く、後輩たちが活躍して日本の医療を支えてくれているという事実こそが何よりの恩返しだと思っています。自分たちが先人達から受けた恩を後輩にそのまま受け流しているだけ、という感覚です。その後輩達によるさらなる後進への支援と繋がっていくこの輪廻。因果は回り続けます。
かつては最新であった知識や技術を教えていた時代は過ぎ去り、今の私には手の届く範囲の身近な後輩に金銭的援助くらいしかできません。それぞれの世代にとって、また個人の資質によって若手を支援する形態は変化するものかもしれません。しかしながらどのような方法であっても、若手の支援・育成に制限はありません。
大勢の若手医師から今後得られるそれぞれの「百」はこれからの地域医療、ひいては日本の医療の原動力となります。地域医療の発展のために存在する草津栗東医師会の立場としてこれ以上の「終身の計」に及ぶものは無い、と思うのですがいかがでしょう。
我々自身が地域医療に貢献していくと共に、今後の若手の成長を楽しみにしたいものです。
え?お前はどうなのよ、って??
さ、俺も仕事がんばろっと。
永田 智也(わかくさ耳鼻咽喉科)