2019年05月号 第50話 びわ湖水系の生態系について

私が生まれ育ったのは草津市内の水路に囲まれたびわ湖のほとりです。びわ湖の生態系の変化を感じながら育ってきました。今では耕地整理の影響で水路は随分減りましたが、家のすぐ裏は伊佐々川が流れています。子どもの頃はこの川で亀や魚を捕ったりということがこの地域の子どもたちの遊びでした。

特に5月の祭りのころから夏にかけては、モロコが産卵にあがってくるのを網ですくったり、梅雨時だと川が氾濫し産卵にあがってきたハス、鮒や鯉を手づかみしたりと心が浮き立つ季節です。私より10歳くらい年上の男性は皆投網を投げることができ、子ども心にその魚の採取能力に尊敬と憧憬の念を禁じ得ませんでした。また、鯉や鮒など湖魚が食卓にのぼることも多く主要な蛋白源であったと思います。

大学に進学したころから、しばらくびわ湖の魚たちとは縁の薄い生活をしていましたが、10年くらい前に、草津市内の川とびわ湖の生態系を調べてみたいと思いたち、youtubeの動画で憧れの投網の練習し投げられるようになりました。それから市内のいくつかの地点で、投網で魚を採取しています。鮎、ナマズ、オイカワ、タナゴ、鮒、鯉やハスなどまだまだ多種の魚は取れますが、ホンモロコ、ぎぎなどは姿を消したようです。在来種の個体数はもちろん減少していますが、ブラックバスやブルーギルなど外来種も年々減少しています。県の外来種駆除の成果かもしれませんが、在来種は一層減少しているような感じです。外来種駆除は主に在来種保護のための施策ですが、わずかなサンプルで恐縮ですが、功を奏しているとは言い難いと思っています。ひょっとすると、護岸工事などで在来種の魚のすみかが減り在来種の減少の結果、外来種も減っている可能性もあるかも知れません。

まだまだ多くの魚種が生息しているうちに、可能であれば護岸をもとの景観に戻し魚が住みやすい環境にしてほしいと願っています。また、びわ湖の周辺で湖魚を貴重な蛋白源としてきたびわ湖民としては南湖の魚の資源回復だけでなく、食べる気がするような水質に戻してほしいと切に願いつつ、今年も投網の季節を心待ちにしています。

宇野正章(パームこどもクリニック)