2021年02月号 第71話 褒められてうれしかった

子供心に、そこは恐怖に満ちた地下倉庫で、恐る恐る横目で覗きながら、いつも小走りで前を通り過ぎていた。さらに、湿っぽい土にテレピン油と絵の具の入り混じった匂いが辺りに漂い、長居はできない。開け放たれた木の扉の蝶番は壊れ、中には裸電球がひとつ、倉庫の全貌を照らすのには力不足だった。ただ、朱色が剥がれ落ちた伏見稲荷の千本鳥居が、台風一過のように無残にも倒れこんでいるのは確認できた。さらに奥の様子はうかがい知れず、秘密通路で隣の銀行とつながっていると私は何故か確信していた。

倉庫の横には、学校の教室ほどの広さの部屋が二つあった。そこは地下室なのに明るく、例の闇の存在をすっかり忘れさせてくれた。南向の大きな窓の外には、並行した細い通路があり地上に続いていた。所謂半地下の構造で、優しい日の光と新鮮な空気を存分に得られた。小学生の私は土曜日の午後、そこで開かれる“じーびー”と呼ぶ児童美術教室に通っていた。“りょーてーせんせい”に我々は師事した。山田良定(やまだりょうじょう)氏、日本を代表する彫刻家で、地元高校や滋賀大学で教鞭をとられていた。

ただし、どのように絵の手ほどきを受けたか、残念ながら思い出せない。物語の一場面をクレヨンと水彩絵の具で描いたり、外に出て隣の銀行を写生したりした記憶があるぐらいだ。そして最後に、十数人の生徒の作品が黒板に張り出され、りょーてーせんせいの鋭い視線が投げかけられた。せんせいは二三の作品を取り上げて、言葉少なに褒めてくれた。それが自分の作品だと、唯々うれしかった。そんな日は、せんせいの目を盗んで南の窓から外へ出て、地下倉庫の前を通らずに帰路についた。夕日に照らされた外壁のスクラッチタイルが、良かったねと優しく声をかけてくれた。

中学1年生の春“ジービー”は、島の関に新築された近代的な白壁の大津市民会館に引っ越すことになった。水道水で満ちた真新しい水槽に投げ込まれた、ぼてじゃこみたいに居心地が悪かった。みるみる私の筆は進まなくなってしまった。水彩画の次は、コンテ素描、そして油絵と授業内容は変遷していった。伏見稲荷の千本鳥居の正体は、イーゼルという画材と知ったのはその頃だった。

ジービーを卒業してからも、りょーてーせんせいと年賀状のやり取りを続けた。昭和53年、午年には馬の埴輪を版画にして送った。返信で頂いたせんせいの賀状も同じ馬の埴輪の版画で、瓜二つの構成だった。“力強い作品の賀状ありがとう”と初めて書き添えてあった。うれしかった。

先の建物は、京阪浜大津駅の近くに聳え立つ、昭和9年に建設された旧大津公会堂である。老朽化と耐震問題から取り壊しも一時検討されたが、平成22年に補修工事が済み、今も市民の交流場所として鎮座している。地下の二つの部屋は洒落たレストランに様変わりした。そして地下倉庫の入り口は、白壁で塗り固められ、例の匂いは封印されている。

薬師川 浩(薬師川眼科)