2021年05月号 第74話 5月の海の思い出
ご縁があって草津で開業させていただき10年以上経ちました。子供の頃は大阪で育ちましたが、両親が店をやっていたので繁忙期になると愛媛の祖父母の家に預けられていました。四国の北西部に位置する愛媛県はリアス式海岸が多く、小さな漁港の後ろにはすぐ山が迫り棚田とみかんの段々畑がありました。深く入り組んだ入江は波や風をさえぎりプランクトンが豊富なことから、祖父母の村では真珠の養殖が盛んでした。今でも愛媛県は真珠養殖量日本一となっています。
皆様もご存じの通り真珠はアコヤガイを母貝として生まれます。祖父母の仕事はこの真珠母貝の養殖でした。昔は海女さんが直接採ってきたアコヤガイに真珠の核を挿入していたそうですが、成熟したアコヤガイも海女さんも減少したことから祖父の頃にアコヤガイの稚貝を海で育てる養殖方式になっていました。
春になって風が少し暖かくなると、祖父は葉がたくさんついた1-2mほどの杉の枝をロープに結びつけていました。杉葉で作った大きなのれんのようなものができあがると、小さな小さなモーターボートに杉のれんを積み込んで出港し沖に向かいます。しばらく海を走って港が小さく見えるところまで来たら、船を止めて杉を海に降ろしていきます。こうして1か月ほど杉を湾内の海中に吊るしておくと、海流に乗って流れてきたアコヤガイの受精卵が杉の葉に付着し大きくなります。祖父はその稚貝を集めて養殖していました。
海から稚貝が付いた杉を取り込む時はさらに大変です。沖は波が高く、杉を吊るしているロープを引っ張ると祖父の小さなボートがぐらんぐらんと揺れて、しょっちゅうひっくり返りそうになりました。波が高くなると転覆に備えて祖父は船と体をロープでくくっていました。私も体にロープを巻いてもらいましたが、それは海に落ちた時に助かるためではなく「皆が忙しい時期に遺体を探す手間をかけないように」という理由からでした。ちなみに村の友達は誰もが小魚のように泳いでいましたが、大阪生まれの私は犬かきしかできません。祖父も孫には甘かったようでとうとう泳ぎを教わらないままでした。
爪の先ほどの赤ちゃんアコヤガイが付着した杉の葉を切り分け養殖かごに詰め直すと、その年の仕事はひと段落です。祖父がボートの上にビニールシートを張り、前の晩から祖母が作ってくれたお弁当を積み込んで、海上ピクニックに連れて行ってもらうのが楽しみでした。沖とは違って波の穏やかな岸近くの海で、祖母特製の昆布入りおにぎりや昨日採れたばかりの海老を揚げたフライを好きなだけ食べられる夢のような時間を過ごしました。
命がかかった危険な海と、安全で楽しい海、50年近くたった今もそのコントラストは私の記憶に残っています。祖父母が他界して日が経ち、宇和島のあの海に行くこともなくなって久しいですが、楽しい思い出を残してくれたことに非常に感謝しています。
田中和秀(ひつじクリニック)