2020年03月号 第60話 COVID-19感染症について思うこと
日本外国特派員協会で開かれている岩田健太郎氏のテレビ会見を視聴中、ダイヤモンドプリンセス船内でCOVID-19に感染した高齢日本人の死亡が痛々しく報じられました。潮色青々たる客舎での悲劇、諸国一見の途上に落命されたお二人に心より哀悼の意を表します。
これを機に、新興感染症、人畜共通感染症について少し考えてみました。私たちは歴史上、数多くの新興感染症を経験してきました。世界を舞台としたこれら未知の病原体による感染症の発生は、進化の一途をたどるヒトの社会的営為と密接な関連がありそうです。私は常々、「奢れる文明の隙間に新興感染症が忍び寄る」と警鐘を鳴らしていますが、少し大袈裟でしょうか。“文明人の奢り”を人類進化の一つの幹に例えてみますと、新興感染症と地球温暖化現象は、その幹から人知れず毎夜伸張していく枝々なのではないかと思っています。では、なぜ新興感染症と地球温暖化は発生基盤を同じくするといえるのでしょうか?うまく説明ができればよいのですが、本題とは一見関係が無さそうな“物が燃えるとはどういうことなのか”から話を興してゆきましょう。但しここで言う奢りとは、他者に対して威圧的に驕り高ぶる的な意味ではなく、ヒトという種のegoを希求するあまり他者の立場を深慮しない有り様であることをご理解ください。
人類の歴史は「炭素化合物燃焼の歴史」と言い換えることが出来そうです。溶鉱炉や内燃機関燃焼室で燃やされる化石燃料は粗鋼などの工業生産物や動力エネルギーを生み出し、これらは生活の質を著しく高めてきました。しかし、同時にその工程は膨大な量の二酸化炭素を排出し、温暖化現象を引き起こしています。地域によってはこれが炎熱化して森林を焼くまでに至っています。森林火災により地球上の植物chloroplastは減少し、その結果二酸化炭素の貯留が進み、酸素の産生量の減少が地球規模で生じているのが現状です。
一方、顕微鏡的視野で動物の生体内で起こる燃焼を観察しますと、mitochondria内で潤沢な酸素のもとで燃やされる炭素化合物は、細胞活動に必須であるエネルギーATPを生み出し、ヒトの叡智を飽くなき迄に高めることに寄与してきました。そしてその叡智は、例えば内燃機関の発明などで人類の生活をさらに便利にするとともに、皮肉にも温暖化を始めとした新しい困難を地球上にもたらしているのです。
思うにMitochondriaと chloroplastは神によってそれぞれ動物、植物に巧妙に組み込まれた器官であり、Mitochondria- chloroplast chainが適正に機能する間、動物や植物たちはそのよき時代を謳歌してきました。しかしその副産物に起因する温暖化の影響でchloroplastは地球規模で減少の一途をたどっています。Chloroplastの減少によりchainは変調を来し、我々は徐々にしかし確実に暮らしにくい未来へと歩を進めているのではないでしょうか。
さて、次に新興感染症と人類の奢りの関連について見てゆきましょう。
炭素化合物を燃やしたエネルギーを活用し、頭脳は進化してきました。この進化した頭脳は農業技術を進歩させ、豊富な農産物(炭素化合物)が得られるようになりました。また、進化した頭脳は医療技術を進歩させ、感染による死亡と周産期死亡が激減しました。結果として地球はかって経験したことがないような人口増加に見舞われています。
増加した人口はより多くの食料(炭水化物)を必要とし、農地獲得のため原生林が駆逐・田畑化されました。同時にヒトは住居に供する木材を求め、森は益々痩せ衰えています。となりますと、森に生き森に還る生物、およびそれと共に暮らす寄生体にとってヒトは侵略者以外の何物でもありません。かかる侵略行為に対して未知の森深く生息する生物・未知の寄生体は牙をむき、AIDS、エボラ出血熱、そして今回の新型肺炎などの新興感染症の宿主体や病原体へと変身するのでしょう。
人口増加に起因する農地開拓という「物性」の変化が新興感染症の発生と深い関連があると述べましたが、心の拠り所、文化(処においては習俗・習慣)等の「心性」についても新興感染症の流布と関連がありそうです。集団としてのidentity、ひいては部族・国家としての存在を意識づけるという意味で、地球上それぞれの地域の人々にとっては、独自の文化・習慣は何物にも代えがたいものです。残念ながら、我々はこれら習慣が新興感染症の蔓延を助長したという苦い経験を持っています。即ち、アフリカ大陸に見られるpolygamy、tattooing、piercing・・・、これらがHIVの伝搬に繋がりアフリカ諸国は一時悲惨な状況を呈した事は広く知られています。
今話題にしているCOVID-19の宿主はいろいろと取り沙汰されていますが、その宿主の生活圏に踏み込む、それらを食す、また、近接して日常生活を送る文化・習慣が原因となって、これまで知られなかった新興感染症“新型肺炎”が顕性化したのでしょう。そして、その発生があまりにもAIDSのそれとよく似通っていることに驚きを禁じ得ないのです。
長々と社会進化論/文化論に基づく感染論を展開してきましたが、栄誉ある人類にはこの先様々な陥穽が待ち受けているようです。
COVID-19感染症は今やpandemicの様相を呈しつつあり、我々医師会員としては、正確な情報をもとに的確な予防・治療に努め、地域を守っていかなければなりません。と同時に、医業を超えて、“ヒトとは何か”を深く考えなければならない時が春の訪れと共に到来したのかも知れません。
石走る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも
(万葉集巻八 一四一八 志貴皇子)
鈴木孝世(社会医療法人誠光会)