2019年01月号 第46話 医師の定年
新年を迎える。数え年でいくと、皆ひとつ年をとる。数え年の年齢の数え方はユニークである。生まれたその瞬間から1歳。元日生まれの赤ちゃんは翌年の元日を迎えると2歳。一方、12月31日生まれの赤ちゃんは翌日の元日を迎えるといきなり2歳になる。
生まれたその瞬間から1歳とするのは、ゼロの概念がなかったからとも言われている。昭和や平成などの元号表記の際にもゼロ年がないのと同じだそうだ。
昔は、今のように誕生日を基準とした満年齢を用いると、いろいろと事務処理が煩雑になるのを嫌っていたらしい。昨今、満年齢で定年を迎えても、勤め先によって、その月の終わりまで、あるいはその年度の終わりまで、仕事ができる。ひところは、退職金を上積みしてくれる早期退職制度を利用する人もいたが、定年を迎えても、すぐには年金がもらえない時代となり、年金支給開始まで嘱託で働く人も多い。仕事は同じで、給料は下がる、しかし責任がなくなって気分的には楽だと言う人もいる。若い働き手が減少しつつあるこのご時世で、安価な労働力が確保できることは、企業にとってもありがたいことである。
さて、医師も人間であり、年齢を重ねていくことで、経験や知識は増えていくが、物忘れや体力の衰えも避けられない事実である。大学病院や公的な大きな病院の医師には定年があるが、定年を向かえた後も同じところで働いている先生もいるし、新しい職場で新たな一歩を踏み出している先生もいる。もっとも、これまでの雇い主側の立場から、従業員としての立場に変わることは致し方ない。内視鏡医も定年を迎えても、まだまだスコープを握り続けたい。電子スコープとなり、モニター画面が大きくなり鮮明になったことで、腹腔鏡下手術のおかげで外科医の手術室での寿命が延びたことと同じく、内視鏡医の寿命も確実に延びている。私が指導を受けた先生方の多くも、まだスコープを握っている。
私が以前勤めていた病院では、地域の医師会の先生方の健診を行っていた。その中のあるご高齢の内科の先生の聴力検査の結果をみて驚いたことがあった。かなりの難聴であった。聴診器を当てても音は聞こえていなかったかもしれない。しかし、信頼のおける先生に聴診器を当ててもらって、患者は安心できたのかもしれない。安心を届けるのも医師の業務である。
では、開業医である私の定年はいつになるのだろう。診察中に患者の目の前で体調不良となり、数日後に亡くなった先生もおられる。最後まで現役であった先生である。医師であっても自分の寿命はわからない。私の研修医時代からの指導医は、いつも激務の中にいて、外出先からの帰宅途中に気分が悪くなり、大きな病院を受診したが、そのまま亡くなった。たぶん年金も支給前だったと思う。あまりにもあっけなかった。お見舞いにも行けなかった。自分の意思に関係なく、突然やってきた定年である。
私は、自分に考える余裕がある場合においては、医師として十分な医療サービスを提供できなくなったとき、それが自分の医師としての定年であると考えているが、何を持って十分な医療サービスとするのか、そのサービスを提供できているかどうかの判断を自分で下せるのか、なかなか難しい問題である。
開業医は自営業者である。自営業者は自分の仕事の潮時、引き際は自分で決めなければならない。他の人に決めてもらうほうがずいぶん楽である。定年に向けての準備や計画も立てやすい。
新年を迎える。数え年でいくと、また、ひとつ年をとる。正月休みが終わると、いつもの仕事が始まる。可能な限り常に最高の医療サービスを提供し続けたいという気持ちはある。しかし、それが患者さんの十分な満足につながらなくなった時、それが潮時なのかもしれない。
松本 啓一(松本胃腸科クリニック)