2017年10月号 第31話 口八丁手八丁に磨きをかける
このたび医師会ホームページへのエッセーの投稿依頼をいただきました。あまり医師会へも出席してないので恐縮しています。しかも、長さも内容も何でも良いと言われて、かえって何を書けば良いか困ってしまっています。他の先生方のように仕事を離れて趣味の事など書くと粋なんだと思うんですが語れるほどの趣味もなく、結局寝ている時間以外の四六時中考えている仕事の事を書くことにしました。
私が東京で小児神経の専門研修期間を終えて母校S大(滋賀ではなく)の小児科に戻った時は卒後5年目で、そこにいたのはほとんど研修医時代に一緒に働いていた顔見知りの先生たちでした。しかし、数年先輩の当時病棟医長のT先生だけは長年国内留学で医局を離れておられたこともあり私とは初対面でした。T先生は小児血液専門でしたが、大学病院でアレルギー外来もされていました。というより、むしろ彼も大学に帰って来てそれほど経ってなかったのもあったのか、アレルギー外来の方が主体になっているようでした。地方の国立医大小児科では人手も少なく、大学といえども全ての領域の専門家が揃っているわけでなく、専門外の先生が専門外来をしないといけない状況なのでした。滋賀医大小児科では考えられないことですけどね。
専門施設から帰ったばかりの私の頭の中は小児神経でいっぱいだったし、知識もモチベーションもとても他領域を診れる状況ではなかったので、T先生に「先生はよく専門外の専門外来が出来ますね」と話したところ、「アレルギーなんてほとんど口八丁手八丁だからね~」と。T先生は能力も高いことで有名だったし、謙遜してるだけで何でも出来るんだろうなってそのときは思いましたし、実際に専門医と比較しても何の遜色なくアレルギーの治療もされているように見えました。
その1年後、私は故郷の滋賀に帰るべくS大小児科医局の脱藩を表明し、その引き換えとして隠岐の島という離島で1年近く勤務して滋賀に来ました。離島では一人医長でもちろんアレルギー含めて何でも診てましたし、滋賀に来てからも神経だけでなく広く小児科全般も診てましたので、3年前クリニック開業にあたって診療知識自体はそれほど不安はありませんでしたが、さすがに患者数が多いであろう喘息やアトピー性皮膚炎などは勉強し直しました。きっと治療抵抗性の難治例もいるだろうと構えていました。しかしフタを開けて多くの患者さんをみると、ひどい子は薬を十分塗れてなかったり、内服や吸入が続けられない子(保護者)ばかりで、真の難治重症例など皆無に近かったのです。それまでてんかんの子を多く診てましたが、てんかん発作があるのに薬を飲ますのを止めてしまう保護者はほとんどいなかったので、これほどかと驚きました。結局治療は、外用薬はたっぷり塗らないといけない、良くなっても吸入や内服をすぐに止めてはいけないなどを、いかに納得実行出来るように話をするかでした。時に厳しく、時におだて、時に脅しに近いことも言ったりと。さらには医師からの話だけでなく、資料を使ったり、看護師が補足説明したりと。このお母さん治す気あるんかと憤慨してしまうほどのこともありますが、受診に来てくれてる以上はやる気はあるんだと信じて。
これアレルギーだけじゃなくて感染でも何でもで、外来小児科では必要な治療をお家でやってもらえるようにいかに話すか、まさに口八丁手八丁でした。逆にそれが出来なければ、どれだけ難治例を治す知識があっても無駄なのでした。こんなことはコラムを読んでる外来のベテランの先生方にとっては当たり前なのでしょうが、開業したての私にとっては目からウロコ状態でした。T先生が言ってたことは真実だったのだと思い知りました。
というわけで現在開業3年目を迎えての日々、口八丁手八丁に磨きをかけるべく(良い言葉ではないのでしょうけど)精進しております。ちなみに上述のT先生は少し前になんとS大小児科の教授になりました。今では患者さんだけでなく、医局員にも口八丁手八丁で指導しておられることと思います。
吉岡 誠一郎(栗東よしおか小児科)