2017年04月号 第25話 DNARの一人歩き
ある晩当直をしていた時のこと、病棟から“入院中の患者の呼吸状態が悪化したので診て欲しい”とコールがあった。急いで病室に向かうと、80歳代の女性が喘ぐような呼吸をしており、口からは泡沫状の痰が流れ出ていた。聴診で明らかな呼吸の雑音が聞こえるものの、幸い脈拍は十分に触れるので、肺炎か心不全で呼吸障害を起こしたものと思い、直ちに喀痰を吸引し、気管挿管して気道を確保しようとした。すると、傍にいた看護師が、“主治医からはDNARと聞いているので、薬の指示だけ頂ければいいのですけど・・・”と言いながら恨めしそうな目で私を見るではないか?“DNARって言われても・・・本当に挿管しなくていいの?”と問い直してみても、“DNARって言われているので”と口ごもるばかり。結局、酸素を投与し、主治医の到着を待つことにした。主治医に引き継いだ後のことは定かではないが、その数日後にお亡くなりになったらしい。
このDNARと言う言葉、最近医療現場でよく耳にするが、その意味を本当に理解して使われているのか、ふと疑問に思うことがある。DNARは、Do not attempt resuscitationの頭文字をとったもの、直訳すれば“蘇生を試みない”ということになる。最近私がよく耳にする場面では、介護施設の転院や療養病棟への転棟を決める時に、医療相談員や看護師から“予めご家族の方にDNARの許可をとっておいてくださいね。そうでないと受け取ってくれませんから”とか、医師からは“DNARですので基本的に手術適応はないと思います”などの使い方をされている。言いたいことは何となくわかるが、しかし、聞いていてどうも腑に落ちない。すっきりしなかったのは、他ならぬ私自身も、DNARと言うものをきっちりと理解していなかったに過ぎないのではあるが・・・。
折しも、昨年12月16日に、日本集中治療医学会からDo Not Attempt Resuscitation (DNAR)指示のあり方についての勧告が発表された。詳細は割愛するが、そこで提唱されたポイントは、1)DNAR指示はあくまでも心停止時のみに有効であり、心肺蘇生不開始以外は通常の医療・看護について別に議論すべきものであること 2)DNAR指示と終末期医療は決して同義ではなく、DNAR指示と終末期医療実践の合意形成はそれぞれ別個に行われるもの 3)DNAR指示は医師の独断でなされるものではなく、その妥当性を患者と医療・ケアチームが繰り返して話し合い評価するものである、ということである。
そもそもDNARの概念は、1960年に心マッサージが日常臨床に導入され、心停止時に心肺蘇生が一般的に行われるようになったものの、1960年代後半に蘇生の可能性が殆んど無い患者にさえ一律に心肺蘇生が実施されたことに端を発している。死が不可避であり、蘇生の努力が無益と考えられる状態、すなわち心肺蘇生の適応が無い場合の対応として、その旨を診療録に明記して医療従事者が情報を共有するというのが、DNAR指示の始まりと言われる。従って、対象はあくまでも“心肺蘇生術を施行しても蘇生の可能性がない状態の患者”であり、必然的に殆どが終末期医療を視野に入れた患者になるのであるが、あくまでも個々の患者の終末期のあり方に準じた対応の一つとしてDNAR指示が存在するのである。
しかし、患者の権利が尊重されるに伴い、2000年代初頭にAND(Allow Natural Death)、すなわち自然死を受け入れる考えが提唱されたあたりから、解釈に誤解が生じ始めたようである。ANDには、心停止時にCPRを施行せず、心停止に至る前には全ての医療・看護処置を実施するものと、緩和医療を実施し、CPRを含めて全ての医療処置と治療を差し控えるものが別個に分類され、前者がDNARと同じ意味合いで、後者は本邦における終末期医療の概念に通じている。従って、DNARと終末期医療のあり方については、実は根本的な考え方の違いがあるにも関わらず、それらが知らぬ間に混同されていたようである。少なくとも、DNARと言う言葉を臨床現場で使用した場合は、“患者に苦痛を与える全ての侵襲的処置を施行しない”と言うこととは別の意味であり、“心停止時の心肺蘇生のみならず、それまでの栄養、輸液、酸素投与、鎮痛・鎮静薬、抗不整脈薬や昇圧剤などの具体的治療さえも開始しない、差し控える、あるいは中止する”といった行為は許されないはずなのである。今や、臨床現場では、特に高齢者やガンの患者に対して、DNARという言葉が多くの医療従事者に安易に解釈され、一人歩きしてしまっている気がする。
昨年の年末に父親が心不全で88歳の生涯を終えた。長年の虚血性心疾患と腹部大動脈瘤、腎機能低下があり、急変時には何も蘇生処置は行わない方針であることを父親と相談して決めておいたため、最期は眠るように安らかに看取ることが出来た。看護師にも、“DNARだから何もしなくていいよ”と伝えておいたので、病棟も慌てることなく静かに対応して頂いた。結果としては、DNARの指示に従った適切な最期の対応であったと思うが、今から思えば、“親父の年齢と現在の病状、今後の予想される闘病生活を鑑みて、これからはもう侵襲的治療は一切受けないし、心肺停止時にはDNARでお願いします”とスタッフに伝えるのが正しかったのだろう、と反省している。
草津栗東医師会 理事 松村 憲一(草津総合病院)